津軽三味線奏師 梅田 豊月 (本名 鈴木豊五郎)
明治18年生まれ・昭和26年没 ・享年68才
明治・大正・昭和に限らず、津軽地方と南部地方の農業に関しては、凶作と飢饉の連続で、人口減の年回りもあったと文献には記されています。東北のその厳しい気候風土の中で、生命への心の支えとして、今でも垣間見る事がある「百万遍・おしら様・みずこ供養・イタコ」等の信仰形態が醸造されてきたのではなかろうかと、勝手ながら推測しています。目が不自由な坊様の一芸とも、また、多種の意味合いが深い門付けと称される三味線を紐解くと、この数ある信仰心と交錯します。津軽三味線の起源は意外と浅いのですが、この門付けに、芸風と革新的な奏法を組み入れ、独特な技能演芸として、今日の津軽三味線は確立されたものと考えております。
素晴らしい津軽三味線と、この信仰心を同時に紐解いてみては如何でしょうか。新しい歴史を垣間見る事ができるものと思います。
津軽三味線を紐解くと端々に足跡を残した津軽三味線草創の一人。
梅田豊月の弾き方には独特な技法(梅田手)があり、
古くから語り継がれる著名な方々や、今日活躍される演奏家らに多大なる影響を与えた。
特定の派に属さず、また特定の家元としても、名取としても存在せず、 正に「孤高の天才」として、 今日の津軽三味線界の礎を築いたと言っても過言ではない。
伝下生に浅野梅若・戸田重次郎・高橋竹山等
梅田豊月は三人の子供に恵まれ、破天荒なる「梅田豊月人生録」は、
梅田豊月の長男鈴木豊太郎(鈴木理容所・初代開業者)から受け継がれ管理する。
現在・梅田豊月の孫・鈴木 隆(鈴木理容所・二代目後継者)が、本家代表として、
鈴木理容所・五所川原市原子にて菩提を弔う。
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